ホーム > おそばのあれこれ > そばと海苔の関係

おそばのあれこれ

そばの豆知識 12そばと海苔の関係

海苔は蕎麦屋に欠かせない食材のひとつである。海苔かけをざるそばと称している場合はもちろんのこと、温かい種ものとしては花巻や月見、玉子とじがある。また、焼き海苔は蕎麦屋の酒肴を代表する一品だし、そばずしなどのそば料理でも海苔が不可欠だ。

  もりそばにもみ海苔をかけて「ざるそば」として売り出したのは明治以降のことで、高級品ということで蒸籠ももりそばとは違うものを使った。また、つゆも味醂を使う御膳返しを加えたざる汁を用いるのが決まりだったという。江戸時代のざるそばは、蒸籠や皿ではなく竹笊に盛って出すことから起こった呼び名で、享保二十年(一七三五)刊「続江戸砂子」に紹介されている深川洲崎のそばや「伊勢屋」が元祖とされている。

  一方花巻の歴史は意外と古く、安永四年(一七七五)刊と推定される「そば手引き草」に出ているのが、いまのところの初出。「浅草海苔を焼きてかけしむなり。まことに温にして、又甘味いふ斗ばかりなし」とある。幕末近くの風俗考証書「守貞謾稿」は「浅草海苔をあぶりて揉み加ふ」としている。

  「花巻」という名称の由来は、そばの上に散らした海苔を磯の花にたとえたという説があるが「そばの手引き草」は「俗、花まきと称するなり」と記すだけで、由来については述べていない。しかし江戸時代後期には風情のある、あるいは粋な種物として人気のあったようで、文政八年(一八二五)版「今様職人尽歌合」下では、

             夜桜を見にみにくる人に売らんとて

             花まき蕎麦のにほふゆふぐれ

という歌が詠まれている。浅草海苔の香りを大事にした種ものだったことが偲ばれる歌である。また「守貞謾稿」によると、当時の花巻の値段は二四文(もりそばは六文)。安政(一八五四~六〇)頃の川柳、

             花巻さんは二十四でおつすわな

という句は、遊女の源氏名(花巻)と年齢(二四歳)をかけて詠んだものという。

  ところで、海苔の食用の起源は非常に古く、古代までに遡るといわれるが、現在のような干し海苔の形になったのは江戸時代の初め、十七世紀初頭のこととされる。現在の東京・大森で紙漉きの技術を応用して作られたのが始まり、と伝えられる。当時はまだ浅草は海で、隅田川は浅草川と呼ばれていた。その河口付近で自然にはえていたノリを利用したことから、浅草海苔という名称が生まれたという。現在、海産干し海苔の大半はアマノリから作られているが、アサクサノリの名は、その代表的な品種名にもなっている。

  ちなみに、海苔で巻く巻き寿司が登場するのもまた安永頃のことで、五年刊の「新撰献立部類集」が初出。この時代、浅草海苔の需要に何か大きな変化でもあったのだろうか。

麺類雑学辞典より

バックナンバー

ページ上部へ